第二章

家族のための家が持つ
主人をリセットする力

ほんと家の中を一年中秋を実現するとさまざまなことが家族に起こるのですが…例えばそうですねえ…
奥様
健康になるとか?
もちろんそれもあります。でも財前様のような経営をされている方が、この家で一番効力が得られることは、家族にとって、「ずっと良い時の父でいてくれたらいいのになあ」という父親としての状態を維持できること だと思うんです。経営をされている方は、常に厳しい競争社会の中で勝負されてますから、どうしても数字とか利益とか結果を求めがちになります。もちろんそれは当たり前のことなんですけど、僕や、父の妻である母から見ると、それに突き進みすぎている時の父は、良く見えないというか、幸せそうじゃないというか、憧れられないというか、危うさを感じる時があるんですよね。
奥様
わかるわー。あなたもすぐにそうなるし!
父も同じだったんですけど、そうなった時は決まって、一通り荒れ狂った後の父は、しばらくするとまたの状態に戻って来てくれることはくれるんです。ただ、そのになる時というのは、だいたいが大失敗だったり、何かをやらかして痛い目にあったりした後なんですが、そうなる直前って、いつも同じで、僕や母が父に話しかけにくくなる雰囲気の時が一定期間あるんですよね…。嫌な感じなんです…。
奥様
わかるー。あなたが会社を失敗した時もそんな感じの雰囲気だった!私はずうっと危ないなーって思っていたわよ。でもそういう時って聞かないのよねー!
財前さん
そ、そうなのか…?
父の場合も一緒で、失敗したり痛い目あってその後には決まって、山に一人で出向いて焚き火をしてみたり、自然と触れ合うことで、自分をに戻して帰ってくる んですよ。いつも行動パターンが同じ。
奥様
秀弥くんのお父さん、あなたそっくりじゃない!あなたも失敗したり、うまくいかなくなると、一人キャンプに決まって出かけるもんね。
財前さん
俺にとってはあれが大事な時間なんだよ。リセットの時間な。
ご主人様って、父となにからなにまでそっくりなんですね。ただ、僕ら家族としては実は、父が噛み合っていない時というのは、実はすごく冷めて見ていて、「あー、また噛み合ってないなー。そんな雰囲気じゃ家族にも迷惑だから、早く山にでも行ってリセットでもなんでもしてくればいいのに。」とか思っちゃってるわけですよ。特に母は呆れながら…。
財前さん
まさかお前も俺にそう思っていたのか?
奥様
思ってたわよ。秀弥くんのお母さんにまったく同感!男の人っていつもパターンが同じで、ほんといつも単純で子どもなんだから。
財前さん
・・・
いや、父も同じですよ。いつもだいたいパターンは同じ。突っ走って失敗して焚き火してになって帰ってくる。僕の小さい頃からずっと繰り返されてきた父の行動パターンです(笑)息子としては、だったらいつもの状態を維持できれば、よっぽど父の仕事だって、もちろん家族との関係だってうまくいくだろうにって、昔から冷めた目で見てたんですよね。まあ、特に母がですが。
奥様
どこの家族も同じなんだね。ほんと男ってほんと!単純。
財前さん
お、おう。
僕も息子として父をずっと見てきましたからわかるんですけど、父が決まって失敗している時って、明らかにの状態ではない時 なんですよね。家族から見ても、よくわからない誰かの言葉や考え方に取り憑かれているような状態で、そういう時は絶対、家族の意見には聞く耳持たないんですよ。そんな時に決まってなにかしらの失敗をする。僕や母としては「ほら!またなった!」みたいに思ってる。「そうなる前にさっさと焚き火に行けばいいのに!」とか母はぼやいてる(笑)
奥様
わかるー。それってまさに男が下品になった時の状態なのよ。男の嫌な部分が全開に出てる時。聞かないんだよねー、そういう時って。周りを巻き込んでさ。あの時だって社員さんはあなたにSOSを出してたんだよ。下品な感じになっている時のあなたってほんと周りが大変!まあ、それであなたの周りから人がいなくなって、痛い目にあったから、私はあなたと一緒になれたわけだけど♡
財前さん
そ、そんなふうになってたか?うーん、耳が痛いな。そういえば、あの失敗の後の1人キャンプは長かった…。自分としてもリセットするのに時間がかかったよ。
ただこれが、帰る家の中が、ご主人様にとっての、常に1人キャンプの役割を果たしてくれる空間になっているとしたらどうでしょうか?いつもいつも同じような破綻の後、1人キャンプでに戻るのではなく、常にに戻してくれる空間がそこにあるとしたら ?僕の父の場合は山でこもって焚き火ですけど(笑)
財前さん
お父さんとシンパシーを感じるわ(笑)でも俺と同じような行動パターンをとっている秀弥くんのお父さんで救われる(笑)
これ面白いんですけど、僕がこの家を建てて以来、今では、あの父が下品になった状態で僕の家に現れても、驚くことにちょっと過ごしているうちに、気づけばの状態に戻ってる んですよね。短時間で変わりすぎて怖いなって思ったりするんですけど(笑)、息子としてはこの時の状態が維持できれば、僕ら家族としても父を尊敬し続けられるし、この状態の父だったら、仕事だって周りの人との人間関係だってうまくいくじゃないかな?って、母と一緒にいつも話してるんです。僕ら家族も父が嫌なわけじゃなくて、下品な時の状態は受け入れられないだけで、それはたぶん、父を見てる他の人も同じなんじゃないか? って。
奥様
あなたもまったく同じよ。社員さんに逃げられて痛い目にあった時、失敗した後は、ものすごく魅力的だったもん!だからあの時、マーくんもあなたの会社に入ろうとしたわけでしょ?のあなたはマーくんも好きなんだよ。
僕の父も、薄々気づいてるんじゃないか?と思うんですよね。実は自分でも下品になった時は自分でも、 ”の状態に戻したいと思っているんじゃないか?” って。実は、”に戻るためにわざと失敗してるんじゃないか?”って。母の意見ですけど(笑)
財前さん
まさか俺の息子も別れた嫁も同じことを思ってたんじゃないかと思うと怖いわ(笑)
奥様
マーくんは、あなたが思っているよりもわかってるよ。ちょっと秀弥くんに似てるもん。
財前様じゃなくて父に言うつもりで話しますね。「あなたも実は常にの状態を維持したいんじゃないですか?」って。だってその状態であれば家族からは憧れられる父で常にいられますし、部下が離れることだってなかったはずです。あ、父に言ってます。
財前さん
本当に親父さんに言ってるんだよな?(笑)なんか息子に図星を言われてるみたいだぞ。まあでも薄々気づいていたよ。会社がうまくいかなかった時の俺の行動は、無理してるというかじゃないというか、そうなるたびに元嫁や息子までが冷めていったような…。それで家に居場所がなくなっていったのはあるしな、実際。
でも息子さんは財前様から離れていないじゃないですか。
奥様
今はまだね。でもあなたが前みたいにまた下品になったらわからないよ(笑)
財前さん
確かに自信がないな。なんつったって息子が俺の会社で働きたいって言った理由がいまだに理解できてないしな。
頑張る父親にとって、家族ってなんのためにあるのでしょうか?実は父親にとって奥さんや子どもって、自分を常にの状態のフラットに戻すために存在していて、そのの状態で生きることを、父親も望んでいるのではないかって思うんです。たくさんのお客さんと話をしているとそう感じます。そういう環境を家の中に求めている方が実は多い
財前さん
なんか裸の王様みたいだったんだな、俺は。まあでも、秀弥くんは、痛いところをついてるよ。社員が逃げたのもなんとなくわかってきたわ。
経営者の息子の立場として言いたい放題言わせてもらいましたけど、一年中家の中を秋にする最大のメリットは、ご主人様や父のような方にとってはですが、家に帰る度に、”自分をの自分に戻してくれること” なのではないでしょうか?
財前さん
なるほど…。くそー。まさか家の内観会にきて、息子のような人と嫁がタッグを組んで自分だけがわかってなかったことをズバズバ指摘してくるとは思わなかったわ(笑)
いやいやご主人様に言ったわけではありません。僕は父に言ってるんです(笑)親子経営って複雑なんですよね。父と子ってお互いに理解不能な部分も多いですし(笑)僕だって下品な感じになっている父といることは、息子としても耐えられないところがあるわけです。だから父がそうなるたびに、「早く事務所を一年中秋を実現する今の家に建て替えろよ」って思っちゃうんですけどね。あなたにはに戻れる場所が必要だって(笑)
財前さん
な、なるほど。事務所か…。
マーくんと同じような立場の僕としては、いち早くご主人様の事務所を一年中秋を実現する家に建て替えることをお勧めします(笑)それでマーくんもご主人様もかなり働きやすくなるはずですから。
奥様
ちょっと秀弥くん、余計なことは言わないで。今回は私とターくんのための家を建てるんだから!
財前さん
確かに…、事務所も必要かもしれない…。
奥様
ちょっとちょっと!
この家に住んでいるからわかるんですど、家の中を一年中秋にするというメリットは本当にたくさんあります。それは、ただただ過ごしやすいという範疇を遥かに凌駕する と僕は日々、肌で実感しています。ご主人様にとってその家は、自分のを維持することで、たーくんや奥様に常に憧れられる父としていられることを実現することになるかもしれない。もし会社で起こる失敗が自分をに戻すためのものなのであれば、常にでいられたら、それをする必要がなくなるかもしれない。いわばこの家は、家族、特に父にしなくても良い失敗をさせることなく、の父親のポテンシャルを120%発揮させることができる家と言っても過言ではない と僕は思っています。事実、僕は仕事が終わると一目散に家に帰りますし、帰るたびにリセットを実感しますし、ここは外出したくなくなるほどの空間です。
奥様
へえ。旦那が家に帰ってくるのか。ふーん、そのほうがへんな虫が寄り付きそうになくていいわね(ニヤリ)
財前さん
まあでも今思うと情けない。失敗して痛い目あって、嫌でも自分がの状態になって大事なことに気づいたはずが、家づくりを考えるうちにまた、嫁が言うように下品な感じになりかけてしまっていたとはね。もうこんなことは繰り返したくないと嫌というほど思ったはずなのに、大事なことはすぐに忘れるもんだな。
おこがましくも再度、同じようなことを言わせてもらうと、本来、家族の長である父親にとって帰る家とは、”自分をの状態に戻すためにあるべきだ” と考えます。仕事という毎日の冒険で疲れた財前様をリセットしてくれる場所。そんな場所がなかった場合、うまくいくものもうまくいかなくなって、外界で荒れ狂って、自分をに戻すために必要な失敗を自分に引き寄せる。もしそんな構図が存在しているのだとしたら、一年中秋を実現する家は、忙しい財前様のような経営者にふさわしいと思いますが。経営者の父を長らく見てきた息子の立場から切にそう思うんです。
財前さん
なるほど。認めるよ。俺は求めてた。落ち着ける場所というか、になれる場所を。まあ結局作れなかったわけで、だから外にそれを求めて失敗して痛い目にあった。それで懲りてこいつと一緒になろうと決めたわけだし、家づくりも、最初はそれを取り戻したくて思い始めたんだと思う。俺は自分をに戻してくれる場所を家に求めていたわけだ。俺にとっての家を建てる意味はそこにあったんだな。
奥様
あなた…。
この一年中秋を実現してくれる家は、家族のために家を建てる方にとっては理想の家になる と、住んでいる僕も自負しています。父と子どもの親子経営にもプラスに働くはずです。なので事務所を先に建て替えてはいかがでしょうか?(笑)
財前さん
おいおい、秀弥くん、一気に2つの家を売る気だな(笑)
奥様
もう!私の家が先!冗談はそのくらいして、秀弥くん、なぜこの家はどうやって一年中、秋を実現できるわけ。詳しく説明してよ!
失礼しました。僕も父に自分の意見を話しているようですっきりしました(笑)それでは秋を実現できる家について詳しくお話しします。

コラム

僕の原点
「建築に進もうと決めたわけ」

このあたりで自己紹介を兼ねて僕のことを少しお話しさせてください。

僕が父の会社を継ごうと決めたのは、高校生の時に父に連れられて、東日本大震災の被災地を訪れた時のことでした。

実はそれまでの僕は教師になりたいと思っていて、父の会社を継ぐことはまったく考えていませんでしたし、父も僕が会社を継ぐことは一切想定していなかったと思います。父がなぜあの時、被災地を案内したのか?それは謎ですが、どの大学に進むかを悩んでいる僕に何かを見せたかったのかもしれません。

地震発生から3年くらいになる被災地、宮城県名取市を父と二人で訪れたのですが、3年も経っているはずなのに何も再建されていない、そして建物も道路標識も何もない町を見て、「こうも簡単にすべてがなくなってしまうのか…」と呆然としたことを思い出します。

その際、現地で被災した子どもたちと接する機会に恵まれたのですが、その会というのが、被災した子どもたちが、”これからの夢や思いを大きな画用紙に書くみたいなイベント” だったんですね。そしてその時、僕は子どもたちが書いている絵に強い衝撃を受けたのでした。

そこにいる全員の子たちは決まって、家族と一緒にいる様を書いていたんです。まずはそこに驚いたのですが、その家族の横には津波を防ぐための大きな壁が書かれていたり、その家族が高台にいる様子を書いている子がいたりと、一見、楽しそうな絵を書いているのですが、絵には明らかに心におった傷というか、もう二度と自分たちの居場所をなくしたくないという切なる思いがそこに込められていることに、僕の心は大きく揺さぶられました。

一瞬にして家を失った子どもたちが、どれほど精神的なショックを受けているのか。子どもたちにとって自分の住んでいた家が、どれだけ精神的に大きな支えだったのか。高校生だった僕にとってもその絵は、何か訴えかけえてくるようなものを感じたんです。

それは僕だけではなく、被災されたご両親さんや大人たちも同じで、絵を見て同じように涙を流し、「こんなところで立ち止まっていていけない!」と奮起されている方がいたりして、子どもから大人が力をもらい、大人たちが子どもも守ろうとする様子から、家族の必要性がわかった気がしましたし、それは家をなくしてはじめて思い知らされることなんだということを痛感したのでした。

この時、父が建築業という仕事に携わっていること、その息子として僕が生まれたことに何か運命を感じたんですね。誰かの家を建てて、そこに住む家族のための場所を作ること。その場所をなくすのではなく、作ることができる仕事はすごい仕事だ。当時はもっと単純に、目の前にいる子たちのための家を建ててあげたい、と単純にそう思いました。

子どもたちが書いた絵は純粋で、そこには大人たちが忘れている大事なものが表されている。家族とはなんのためにあるのか?家族にとって家とはどんな役割を果たしているのか?子どもたち全員が絵の中で表していたもの、それは、家族が手を繋いで笑っていて、それでいて何かに守られている空間。

これが家族にとっての家のあるべき姿であり、そこに住む家族はお互いに恩恵を受けあいながら生きている。僕にはそんな空間を作る責務があるような気がして、この時僕は、父の会社を継ぎ、建築業に携わっていくことを決めたのです。

被災地から帰ってきた僕は、建築学科の大学を選択します。生き方の方向転換です。父には理解不能だったと思います。教師を目指していたはずの息子がいきなり建築学科に行ったと思ったら数年後、自分の会社に入ってきたわけですからね。

その後、僕は結婚し子どもができました。父親となった僕は自分の家族のための家を作りたいと思うようになったのですが、それを考えた時、どんな家が理想なのか?被災地を訪れた経験から余計にわからなくなっていったんですよね。

たくさんの家を見てきたし、建築の詳しい勉強もしてきて、知識もあるはずなのですが、常にこんなことが頭をよぎるのです。「ちょっと待てよ。これって本当に僕たちの家に必要なのか?」そしてそう思うたびに、あの子どもたちの絵が思い返されます。「僕が建てようとしている家には、あの絵で描かれているような空間はあるのか?」と決まって比べてしまうのです。

「誰かの家を建てる側の人間として、自分の理想の家でないものを建てることはできない。」「本質とずれた家は建てたくない。そしてその本質はあの絵の中にあるような気がする…。」「僕は自分の家族のためにそういう家を建てなければいけない。」そんな呪縛が僕を襲って、そうなればなるほど、さらに建てるべき家がわからなくなる…、という悪循環に陥っていたのが当時の僕でしたね。まさに家づくりに踊らされていた…。財前様ご主人とよく似ています。

そして僕は一度、家を建てるのを諦めています。「自分の理想の家なんてない…」財前様のご主人のように「住めればいいや。なんでもいいから建てよう」とはなりませんでしたが、このままアパート生活でもいいかな、そんなことを思っていた時でしたね…。父が突然、僕ら家族を新潟に連れて行ってくれたのでした。そしてそこに待っていたのが、例の家の中の気圧をコントロールするシステムが実装されたモデル棟だったんです。

その家に入って数分で娘が寝てしまったということは先述の通りです。この時、すやすや寝る娘を見て、僕に稲妻が走ります。僕の頭の中にと ”ある風景” がフラッシュバックしたのです。

僕の頭にフラッシュバックした風景、それは、父や母、姉妹と過ごした幼少期の秋の風景でした。そこには木や森があって、金木犀の香りが漂っていて、家族が笑顔で過ごしている。

そしてその風景はどこかあの、被災地でみた子どもたちが書いた絵とも通じるところがあります。一瞬で僕の脳裏には一枚の絵が完成した感じになり、その時、自分が建てたかった家の謎が解明された感じになったんですね。

「僕の家の中を一年中秋にできたら、子どもたちにとっても僕にとってもそして妻にとっても安らぎの場所になるはずだ!自分が幼少期から求めてきた理想の家はこれだったのか!」

これまで見てきた家にはない、包まれるような安心感と守られているような感覚。壁や高台ではなく、家が家族を守ってくれている空間がそこにはある。

「お前は誰かのためのそんな家を建てなさい!」と言われている気がしました。

「あの絵は、これを教えるためだったか…。」

被災地で見た子どもたちの絵は、僕に深い悩みを与え、建てたい家とやりたい仕事を教えてくれることになりました。建築に携わる者として、「家を建てる意味とは何か?お前が建てるべき家とは何か?」を問いかけ、そしてそれを探すための旅を授けてくれたのが被災地でのあの出来事だった気がします。

それが僕にとっては ”秋を実現する家” であり、その家はおそらくですが、子どもたちのためだけでなく、そこに住む僕ら親にとってもプラスの力を与えてくれるものになる。被災地で子どもたちが書いた絵に、大人たちが勇気をもらっていたように。そんな役割を果たす家が建てたい。誰かにそんな家を建ててあげたい。そんな経緯で今僕は「一年中秋を実現する家」を建てています。

と、気づけば長くなってしまいましたが、これが僕のこれまでの経緯になります。第三章では、”一戸建てでしか実現できないすごいこと” についてお話しします。ぜひお付き合いください。

その家に入って数分で娘が寝てしまったということは先述の通りです。この時、すやすや寝る娘を見て、僕に稲妻が走ります。僕の頭の中にと ”ある風景” がフラッシュバックしたのです。

僕の頭にフラッシュバックした風景、それは、父や母、姉妹と過ごした幼少期の秋の風景でした。そこには木や森があって、金木犀の香りが漂っていて、家族が笑顔で過ごしている。

そしてその風景はどこかあの、被災地でみた子どもたちが書いた絵とも通じるところがあります。一瞬で僕の脳裏には一枚の絵が完成した感じになり、その時、自分が建てたかった家の謎が解明された感じになったんですね。

「僕の家の中を一年中秋にできたら、子どもたちにとっても僕にとってもそして妻にとっても安らぎの場所になるはずだ!自分が幼少期から求めてきた理想の家はこれだったのか!」

これまで見てきた家にはない、包まれるような安心感と守られているような感覚。壁や高台ではなく、家が家族を守ってくれている空間がそこにはある。

「お前は誰かのためのそんな家を建てなさい!」と言われている気がしました。

「あの絵は、これを教えるためだったか…。」

被災地で見た子どもたちの絵は、僕に深い悩みを与え、建てたい家とやりたい仕事を教えてくれることになりました。建築に携わる者として、「家を建てる意味とは何か?お前が建てるべき家とは何か?」を問いかけ、そしてそれを探すための旅を授けてくれたのが被災地でのあの出来事だった気がします。

それが僕にとっては ”秋を実現する家” であり、その家はおそらくですが、子どもたちのためだけでなく、そこに住む僕ら親にとってもプラスの力を与えてくれるものになる。被災地で子どもたちが書いた絵に、大人たちが勇気をもらっていたように。そんな役割を果たす家が建てたい。誰かにそんな家を建ててあげたい。そんな経緯で今僕は「一年中秋を実現する家」を建てています。

と、気づけば長くなってしまいましたが、これが僕のこれまでの経緯になります。第三章では、”一戸建てでしか実現できないすごいこと” についてお話しします。ぜひお付き合いください。

子どもたちの絵〜被災地にて〜
 筆者撮影

今すぐでも読めます

DAY2は明日、届きますが、今すぐ読みたい方は先読みもできます。以下の簡単なアンケートを提出して今すぐ読んでみてください。

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