株式会社エーテル
代表取締役
Ito Yuichi
伊藤 雄一
18歳
18歳の時にクロス屋さんとして働き始めました。初任給3万円の悔しさから誰よりも早く仕事を覚えてやろうと必死に働き、1年で現場を任され2年半後に独立、一人親方として月商300万ほどを達成します。現場の数をこなすようになると、クロス以外の仕事も任されるようになり、住宅全般の技術を覚えていきました。
そんな時、とある不動産会社社長に目をかけてもらい、スナックの施工を任され、すると施工後、そのスナックの経営も任され、夜な夜な接客業に携わることになります。お客さんから、店舗の設計や施工、カラオケボックスなどの施工などの仕事をどんどんいただき、短期納期の現場監督として現場を切り盛りすることに。この時、現場監督としてのスキルを習得します。
短い工期でどんどんと店舗などを完成させることで評判となり、またもとある木造建築会社社長の目にとまり、大手のメーカーの下請け工務店の現場監督を任され、その時にはじめて木造建築の現場と大手メーカーと下請け会社の関係性を知りました。
34歳
34歳の時にリフォーム会社を立ち上げ、その後、新築住宅の販売を開始。年に60棟の完工までする規模までにし、その実績を元に全国の工務店の支援をする仕事も合わせて行っていました。しかしこの時、無理がたたり体を壊し…、その際、従業員に反旗を翻される形で会社を乗っ取られ、見事に失脚をします…。
その時、拾ってもらった、とある建築会社の社長さんに戸建て賃貸部門を任され、3ヶ月で50棟を成約、この時に戸建て賃貸の販売と施工、運用ノウハウを取得。
43歳
その後再起をかけ、43歳の時に、今の会社、株式会社エーテルを立ち上げ、戸建て賃貸住宅の資産運用、設計施工を請け負い、400棟以上の戸建て賃貸住宅を販売完工し、現在に至ります。
現在では、注文住宅と戸建て賃貸住宅の両方を請負い、岐阜県多治見市で妻と息子、私の三人で住宅を提案施工しています。
株式会社エーテル
現場監督
Ito Hideya
伊藤 秀弥
高校時代
高校時代に訪れた東日本大震災の被災地の子どもたちを見て、家族にとって家がどれだけ大事かということを痛感し、自分が工務店の息子として生まれた意味を考える機会になりました。
それまで教師を目指していたのですが、この被災地訪問により自分の生き方の方向性を転換。父の工務店を継ぐという目標を新たに掲げ、建築系の大学に進学します。
地元の工務店へ
卒業後、父の会社に入社しようとしたところ、なぜか父が大反対し、泣く泣く、父の会社の近くの地元の工務店に就職。そこで一年目から現場監督して現場を任せてもらえるよう直訴。変なやつだと思われながらも、半年後からは、会社でも一番多くの現場を任せれるほどになりました。
早く父の会社に入りたいという思いがそうさせたのだと思います。
株式会社エーテルへ
その会社で二年働き、現場監督能力を身につけたと勝手に判断し、今度は父の会社で働くことを逆直訴し、無理やり株式会社エーテルに入社。現場監督として一人でこの会社の現場を一手に管理しているのが僕の今の役割です。
入社すぐに自分の会社エーテルで自分の家を設計、現場管理を行い完成させて、今は子ども3人と妻と一緒に暮らしています。
家のコンセプトは「一年中秋を実現する家」。自分で作った最高の家で家族と仲良く健康に暮らしています。
株式会社エーテル
Ito Ayumi
伊藤 歩美
経理事務兼、影の営業
株式会社エーテルの経理事務を担当するかたわら、実は影の営業として動き回っています。
若い時には宅配パンの飛び込み営業をしたり、また、主人、伊藤雄一の波乱万丈の人生の付き合ってきたおかげで、水も甘いも噛み分ける女性ならでは、住宅の提案ができることが強みです。
設計図を書く前に特にご主人さんの理想の家族のあり方と家づくりのコンセプトを確定されるのが家づくりにおいては一番大事だと信じて、設計図を書く前に女性だからできるちょっと変わった住宅の提案をさせてもらっています。